平信徒体験録

 

 

   龕室内にイエス様の現存を更に確信を持って深く感じた。

賛美イエス。どうも。私はシムコク本堂に通っているキ厶•ジョンヨルルシアです。

私はナジュへ行く計画が無かったのにセバステアノ兄弟様の薦めで1994年11月24日ナジュへ同行する事になりました。ナジュへ到着すると夜明けの3時30分でした。平常時身体中が痛かったのですが夜間の車に乗り下りてきて極度に疲労し全身を支えるすべがありませんでした。それでお祈りもそこそこに眠りながら祈りをしていましたが教皇大使様とパ神父様の一行が来て直ぐユリア姉妹様が来ました。私は気恥ずかしかってすこし離れたところに座り皆一緒に黙珠の祈りをしていましたがア姉妹様が教皇大使様とパ神父様に降福を下さるようおっしゃっているようでしたがお祈りの途中ユリア姉妹様がバネが弾むように起きて手を前に差し出しましたがそこに聖体が指にはめられていてその瞬間私は体中が熱くなりそれ以上無く涙が流れました。

ああ!イエス様、私はこれまで私がどれ程冒領聖体をし口で罪を犯したのかイエス様と聖母様に御許しを求めました。ユリア姉妹様が二つに割れた聖体を一つは教皇大使様に、一つはパ神父様に差し上げ教皇大使様がそこに集まった信者達に聖体を少しずつ取りあらたかでしたが聖体がそこに集った信者達が皆あらたかでも余りました。(約70名程)

聖書に書かれた麦パン5つと魚2匹で5千名を食べさせたイエス様の驚くべき愛の奇跡を行われる場面が頭を横切り「ああ、イエス様!」と言いながら賛美を捧げました。間もなくユリア姉妹様が外に出ようとし急に戻られて教皇大使様とパ神父様の手を掴んで聖母像の前ヘ出てお二人の手を取って祈り急に姉妹様がお立ちになり姉妹様の舌にパンの形相でイエス様が来られました。私はその瞬間唯賛美の感謝と賛嘆の外には捧げられませんでした。

この事があった後、私は冒領聖体が如何に恐いものなのか悟り龕室内にイエス様が真に現存されていらっしゃると更に確信をもって信じるようになりミサをする時や龕室の前を通る時やイエス様が私達に御出でになろうとされるのを悟り更に聖母様を似て聖母様のメッセージを実践し私の家族とお隣を更に愛するようになり嬉しく奉仕しています。

ユリア姉妹様、元気を出して下さい。神様はあなたの救い計画に韓国を選択されて、その中でナジュの地を選択されユリア姉妹様を選択され私達にあなたの現存を知らせ聖母様を通じて貴方に来るのを願っていらっしゃる事を悟り信心をもって熱心に生きていきます。

我が母聖母よ、永遠に母の懐に抱かれ生きます。


1995年6月18日

富川市 素砂 シムゴク本堂 786-3

キム?ジョンヨル(ルシア)T.664-4774

 

 

   曲がった腰が伸び20年経った蓄膿症が治癒されました。

私はナジュ本堂のイム?セシリアです。聖母様から頂いた恵みは余りにも多く全て申し上げる事も出来ません。聖母様の栄光の為幾つかだけお話申し上げます。始め涙を流されるとの話を聞き来てみたかったですが来る事が出来ず又血涙を流される時も聞くだけで来る事が出来ませんでした。

子と嫁達が行くのを阻み徹夜祈り会に来たくても来れず、病が治癒されるという事も知らずただ来たいと思いました。ナジュ聖母様の家ヘ通いたくナジュに部屋を得て一人で出て生活しながら徹夜祈りを通い25ヶ月(947月現在)になりました。

聖母様の家に来る前に神経痛で足がとても痛く病院という病院には全て行ってみて薬という薬は全て服用してみても治らず弟が25万ウォンする薬を持って来てそれを服用すれば治ると言い買って服用しても治りませんでした。

これを服用しても治らずあれを服用しても治らずこれでは私が不具者として生きるのかも知れないとし薬を断って聖堂と聖母様の家にのみ通いました。25万ウォン値のそのお金を神様に捧げてたらどんなに良かっただろう?神様にけちで聖堂には主日奉献金千ウォンを持って出たのにそれが悔やまれました。

それて薬を全て断ってその分のお金で煉獄霊魂の為にミサを捧げ家庭の為、両親の為、代母様の為ミサを捧げ又経堂に通いながら祈りました。

始めの4ヶ月は罪が多くこの世で地獄の罰を受けるべきこの罪人がイエス様の寶血で永世聖事を受け罪謝するを頂いたのでもう悔悟させて下さいと言い徹夜祈りの時毎に祈りました。徹夜祈り会に通い4ヶ月目に電光が光り私の全身が熱くなりましたが後で聖霊の光であった事を分かりました。

徹夜祈り会が終りメッセージテープで聞いていると痛い足が火照たと思うと足が治癒されました。足が治癒される瞬間蛇が足に踏まれ切断され死ぬ姿が見えました。そして20年なった蓄膿症が治りました。恵みを授かり体が健康になると奉仕に務めました。

或る時、身を動けず精神も正常でない老人の病の看護と世話をしましたが大、小便を付けた服を捨てずに洗いながら臭い臭いがひどくしましたがイエス様と聖母様がこのような洗濯をさせて頂き感謝しますと祈りを捧げるとその瞬間臭い臭いが消え聖母様の香りがするのでした。そして老人の名で聖母様に奉献をしたらその次の日から精神が正常になり食事もうまくされ大、小便も後始末までされるようになりました。そして私の歳が今年64歳ですが脊髄が曲がり重い物を持てず心配するばかりでしたが去る四旬節にナジュ聖母様の家に来て十字架の道祈りを毎日捧げたら40日になろうとした時頃体がふるえ、肩も腰も痛く余りにも苦しかったです。

これ以上捧げられないと思いましたがイエス様の十字架を思い復活節まで聖母様の家に通いながら十字架の道を毎日きちんと捧げると腰が開きました。イエス様と聖母様に感謝と賛美と栄光を捧げます。


1994年7月3日

ナジュ本堂イム?セシリア T.(0613)32-3077


 

   足に錘を付け寝台に縛り小便、大便を受け取らなければならなかった私が

私は釜山ハダン本堂のユ?ベロニカです。ナジュ聖母様の御言葉を聞き知っていましたが来たくても来る事が出来ませんでした。そうするうち椎間軟骨ヘルニアにかかり来る事になりました。

今日まで四回目来ましたが二度目に来た時聖母様と出会いの時間に私は恥ずかしいのも知らぬままユリア姉妹に腰を押し付けて祈りを受けましたがその時腰がきれいに治りました。

私は腰を全く使えませんでした。45回脊髄に異常が現れましたが手術を出来ず腰が痛み始めてから一週間して足に下りてきて右側の足まで全く動けませんでした。病院に一ヶ月間入院し痛くない足まで24時間足に錘を付け寝台に縛り小便、大便を全て受け取らなければなりませんでした。そんな私がここナジュ聖母様に来て腰が全て治りました。

今日は特に聖母様が私に悔悟の恵みを下さいました。私は姑をそうも憎んでいたのにユリア姉妹様のお言葉を聞くと姑の気を痛めた過ちと色々な過ちを悔悟し余りにももうしわけない思いがして心が痛みます。これからは条件無しで愛します。

聖母様、感謝致します。賛美御受け下さい!


1994年9月

釜山ハダン本講ユ?ベロニカ

 

 

   両足を切断しなければならないとしたのに今日は自動車を運転して来ました。

私は現在全州大学に通っているパク?フンシクです。私達の学校は改新教財団ですが私がどれ程宗教を否定したか酒席に行くと「何の神様がいるか?」「まだ私が若いのに私の若きを信じて生きるのであってどう神様を信じて生きる事が出来るのか?それは理想的な生であって現実はそうではない。」と常に否定をしたのに実際私が痛むとそうでは無かったです。病院で若い人が足を切断するなら死んだと同じではないでしょうか?

私はボゴジ病、簡単に言って筋肉癌で軍隊にいた時足が腐りました。それで陸軍病院で足を切断するとすると両親が上がって来て私を連れて行かれました。それでヨス病院に入院しましたがヨス病院でも結論的に両足全部切断しなければならないと言いました。

しかし母の反対とその切断という判決が余りにも私に大きな衝撃となりました。その内にクァンジュヘ数回祈りを受けに来て又偶然ナジュ経堂に来るようになりましたが始めここに来る時は歩きも出来ず松葉杖をついて来ました。

21日初土曜日徹夜祈り会に参会してから「ああ!神様がおられる。もう私が死んでも足を切断するとしても神様がおられるところに私がいるからまさか神様が私を捨てようか!」との思いで未熟ですが毎日黙珠祈りを15段ずつ捧げ私が神様から授かった恵みをどこに報償シナケレバならないかと聖堂を出始めました。

3月初土曜日にも続けてここに来たい思いがしました。日付は迫っているのに来る方法は無くその時は松葉杖をつく時なので行く事は行かなければならないのにと心の中で祈りました。

「聖母様、私今日ナジュヘ行きたいのですが私を呼んで下さい。」傍で心配する母に「聖母様が私を願い又私がどの道具としてお使いになられようとするなら私が行く方法が無くてもどう御呼びになられるでしょう、何を心配されるのですか?」そうしたら本当に来る事になりました。

3月初土曜日ですからここに二度目来たのです。この日は一番前の席に座り祈っている中多くの恵みを授かりました。傍にいた方達が「本当に学生さんは多くの恵みを授かった人だ。感謝しなければならない。」と言われました。

しかしその時は本当に恵みを私が多く授かっているのか、又授かったと思いますが授かったのをどうしたら神様に報いるのかわかりませんでした。

ところで今日三度目の初土曜日に参会する事になりましたがこの通り全て治りました。今日は自動車で運転して来ました。聖母様の恵みにとても感謝申し上げ若いので何か出来るのなら奉仕出来る道を探しどこでも行き実践する事にここ聖母像の前で約束する事を誓います。ありがとうございます。


1991年4月6日

全州大学パク?フンシク予備者

 

 

   聖母様の家で血なまぐささを嗅いで子宮かきれいに治りました。

私は永世受ける前に堕胎した経験がありました。私がどれ程多くしたか皆さんが知ったらびっくり驚かれるでしょう。

私は堕胎した経験により子宮に大きな病を病むようになりました。病院に通いましたが治療が出来ずいつも苦しみを受けていました。しかし永世をしてから堕胎したのがどれ程大きな罪となるのかを知り心がすごく痛みました。

先月の29日から子宮が更に痛むようになり始め、子を産むと出る汚血のようでもあり血膿のようでもあるものが溢れ出ました。子を産む時よりもっと大きい苦痛が時間毎に来ました。その時から罪を悔い改め始めました。堕胎した事に対して心が痛んだのですがある姉妹様が来られてナジュ聖母様ヘ行ってみようと言いました。

その前から私はナジュ聖母様に対して聞いていて、それで私は去る8日ここに来る事になりました。ナジュヘ来て黙珠祈りを捧げ薔薇の香りのようでもあり百合の香りのようであるその様な香りを三回嗅ぎました。聖母様にお会いし帰る時香を出す臭いがしました。昼食後にビデオを見る事になりましたがその前に聖母様の家の中に写真を展示したものを見る事になりました。ろうそくの火に胎児の姿がある写真を見ましたが他の写真は目に入らず胎児の姿が私の目に大きくクローズアップされ私の胸を押さえ付けるのです。

そしてビデオを見るのですがユリア姉妹様が堕胎の苦しみを受ける姿と信仰告白をされるお言葉を聞いた時急に血なまぐさい臭いがしました。私は他の人もそうなのかと横にいる人を見ましたが他の人は何の表情がありませんでした。

血なまぐささをとても多く嗅ぎ、すごく痛かった子宮がきれいに治りました。血膿も完全に止まりました。神様に感謝致します。


1990年10月19日証言

キム?ソファテレサ

 

   どうして…

仏教信者であった私はスカンアパート301号室で聖母様がお泣きになられるというので見物しに行って見ると本当に涙が少し流れ落ちました。しかし続けて見ている間更に多くの量の涙が両目から流れ落ちびっくり驚きましたが出ようとするとある姉妹が聖母様の手を取りながら「あら、聖母様の脈が打っています。」と言うので私も聖母様の手を取ると本当に脈が打っているではないか!私は疑い無くその時から聖堂に通う事に決心をしましたが長男の長男の嫁なのでそう簡単ではありませんでした。

その後何年後つまり1988年度であるか826日聖母像が今の経堂に奉られた後に一度来ましたが余りにも驚くべき事が起こりました。

その日はプサン、ソウル、テグ、テジョン、クァンジュ等全国の数ヶ所で多くの人達が集り祈りをとても熱心に捧げました。祈りが終りろうそくの火を点けて奉献してほぼ帰りましたがよく見ると一番後ろ側にある姉妹様が松葉杖をついてろうそくの火を奉献している人達をうらやましそうに見つめていました。どうしよう、聞いてみようか?考えているとその時答えるようにユリア姉妹様がその姉妹に行くと「姉妹様、ろうそくの火を奉献されますか?」と言うと「夫が外に出てお金がありません。」と言うのではないか。そうするとユリア姉妹は色を正して「お金必要ありません。」と言いルビノ会長を呼びろうそくの火を持たせ両側で脇を抱えて行き右側を抱えていたユリア姉妹様はその姉妹様の松葉杖が地に落ちると足でさっと蹴ってしまうではないか。その次に又左側の松葉杖も落ちルビノ会長が拾おうとするとユリア姉妹が拾うなとの手振りをしそのまま聖母様の祭壇に連れて行きろうそくの火を奉献させ二人とも抱えていた手を放してユリア姉妹様が「歩いて下りて来て下さい。」と言うではないか!そこに集っていた皆は息を凝らして見ていましたがユリア姉妹は一つも心配する事無いまま母屋へと入ってしまいました。

どうなるのだろうか?いくらか過ぎた後その姉妹は身を動いて歩いて下りて来るのではないか!その姉妹はその日松葉杖を聖母様の家に置いて行きました。皆が驚いて「主よ!栄光と賛美を御受け下さい。」と言い拍手で歓迎しました。

私はその間教会へ通うとしながらもこれまで通えませんでしたが恥ずかしくて耐えられませんでした。「もう本当に聖堂ヘ通い徹夜祈り会へも通おう。」と思い9月の初土曜日の徹夜祈り会へ参会しましたが他の人達も皆驚きましたが私はその日信仰体験談を聞き更に驚きました。

826日松葉杖を置いて行ったその姉妹は松亭里から来た姉妹ですが夫と共にジョンジュへ食事しに行き車事故が起き傷付かなかったところが一つも無かったのですが個人病院、大学病院どの一箇所も受けいれてくれたところが無かったと言います。しかしあるところに知っている病院があり頼んで12時間か15時間か手術をしたと言います。まともなところが一つも無く12月まで地に足をつけるなとしたのに815日事故が生じ826日ナジュへ余りにも来たくて一人では立つことも座ることも出来ず夫に催促してナジュヘ来て座らせてくれたので姉妹様が伝えるメッセージのお言葉を聞きましたがその時余りにも寒がっていると背が温かくなり「正にここは愛がいっぱいのところだ!どう寒いことを知り背に火をあたせてくれるのであろう?」と振り向いて見ると火をあたせてくれた人は誰も無く蛍光灯だけ上にいくつかのみあったといいます。

しかし祈りが終り夫は先ず出てしまい自分は松葉杖をついてどうする事も出来ずにいたのですがユリア姉妹様が祭壇の前に連れて行く時松葉杖を足で蹴るので「あら、私の足!」と言い驚きこの様に祭壇まで行きましたが立ってもいられない人を一人立たせて歩いて下りて来るようするので前が真っ暗で黙って立っていたといいます。そしてからいくらか後に「イエス様がおらっしゃり聖母様がおらっしゃるのに何故下りられないのですか?」という言葉に歩いてみると歩けたとのことです。しかしその時ユリア姉妹様はその話を聞いてルビノ会長と共に笑うのです。その時間にユリア姉妹様はそこにおらず母屋へ入って行ったのですが拍手の音が力強くして「ああ!歩いているようだ。」と思ったそうです。しかし、それは聖母様が自分に直に話されると驚いて倒れるかも知れないのでユリア姉妹様の声で聖母様がして下さったと聖母様が笑いながら御話して下さったといいます。

こんな事があるなんて信じられない話ですが何年か経った今も余りにも生々しいです。私の信心の基礎がその奇跡ですから。私が聖母様を知って洗礼をアンンナで受け何も知りませんが毎月の初土曜日毎に聖母様の家へ通ってみると許せなかった人も許せてこれまで頭良くうまく生きていたと思いましたがもう本当に死すベキ罪人となり犠牲し償って、これまで誤った事を一つ一つ考え愛徳を施し天の天国へ行く時までマリアの救い箱舟から降りず振り向かず行こうと努力しています。罪人である私を変化させて下さったナジュ聖母様に感謝致します。


?岩郡 ?井面 ?興2 511番地

ホン?ボクスン(アンナ) T.(0693)71-1962 

 

 

   隣人の為に祈った時彼も治癒され私も治癒される

哀れなこの罪人を呼んで頂き恵みを下さったことに対してナジュ聖母様に感謝致します。

私は慶北聞慶に住んでいる家長主婦キム?エミリアです。

私は私達の町におらっしゃるビン?ヤコボ氏、キム?エリサベット氏夫婦のお二人が924月の第一土曜日の徹夜祈り会の時ナジュ聖母様の家ヘ行って来てユリア姉妹様がお話なさるテープとお泣きになる聖母様のビデオテープを下さり見て又見て隣人にも見せたといいます。私はナジュ聖母様が私達罪人達の為そうも涙と血涙を流されるのを信じました。

私達は630日聖母様がお泣きになって7周年の時ナジュ聖母様の家に行きました。私が貧血にかかってから1976年度からでしたが次第に年が行くほど更にひどくなりました。何年後には座っていてから起きると前が真っ暗に見えずにとても目眩がしてよく腹が空きひもじくなりもしました。

630日の夕方、ナジュ聖母様の家の徹夜祈り会の時夜明けにユリア姉妹様が今とてもひどい貧血が治癒されるとしながら苦しみを経るのを見ました。その時その時間が過ぎてから目眩がする貧血と腹が空くのが無くなりました。その時からイエス様とナジュ聖母様ヘいつも感謝する思いで生きています。

私は徹夜祈り会の時私の為に一度も祈りませんでした。横に座っている足の関節で苦労する姉妹様の為に祈っただけです。その姉妹様は関節がひどく手術をしたのに間違って車椅子の生活をしていました。

その姉妹様が化粧室でも行けるよう手伝って頂きたいと聖母様に祈りましたが、私の貧血を治癒して下さいました。その前には余りにも目眩がして栄養剤血管注射を一月に一瓶ずつ、何ヶ月がたつと一月に二瓶ずつ注射を打たれたりしました。

聖母様を通じて貧血を治癒されてからいまだに薬も服用せず、栄養剤注射一瓶も打たず熱心に暮らしています。イエス様と聖母様が恵みを下さったことに対して心から感謝致します。

これからもイエス様の福音の御言葉とナジュ聖母様のメッセージを熱心に隣人に伝えながら生きるよう努力致します。ナジュ聖母様!いつも私達罪人達の為に常に私達の主イエス様ヘ祈って下さい。アーメン。


1992年12月20日

慶北 聞慶郡 麻城面 ウェオ4 853番地

キム?チュンイム(エミリア)